1972(S47)年4月1日:千葉県立船橋東高等学校 開設
1972(S47)年4月15日:入学式(第1期生 於:薬園台高校体育館)
☆新入生273名
~エピソード0(同窓会設立前)~
【制服編】
私たち1期生入学式は薬園台高校の体育館で行われました。まだ船橋東には制服がなく、皆各々の中学校時代の制服を着て出席をし、その後も中学校の制服のまま通学をしました。
学校としては、先に制服を決めてしまえば、先生方も面倒ではなかったと思いますが、あの頃の先生は生徒の自主性にまかせる教育方針でしたので、敢えて私達に任せてくれたんです。
制服決めの日、船橋松屋デパートが生地見本と何種類かの試作品をもって来ました。
私達は一つの部屋に集められ、各マネキンに着せられた制服から、生地はこれが良い、スカートはギャザーが良い、襟元はネクタイが良い...と皆意見を出し合いながら一つづつ決めていきました。
そうして出来上がったのが女子の制服です。
5月も半ばになってようやく、自分たちの制服の袖に手を通したときはとても感動的で誇らしささえ感じました。
寄稿:たぬき🦝(2期)
第1回入学式(薬園台高校体育館にて。)(出典:創立十周年記念誌)
女子の制服を女子全員を集めて決定する。(出典:創立五周年記念誌)
校舎全景(S57年)(出典:創立十周年記念誌)
1973(S48)年3月23日:校歌発表会
~エピソード0(同窓会設立前)~
校章と校歌
校章は、開校式前の慌ただしさの中で安増淳初代教頭が担当し、文献等を調べて近くの外原遺跡から剣が出土したことを知り、それを専門のイデア工房に依頼してデザイン化した。開校式のしおりに次のように記された。
「習志野台地から発掘された祭祀用の剣型(四世紀ごろとみられる)を組み合わせて「東」の字を図案化し、中央に船橋の舟を下地にして、その上に高の字を配した。上古の香り高き文化の伝統をうけつぎ、わが校のかぎりない発展を望む願いがこめられている。」
校歌は、元県立千葉高等学校長澤田繁二氏が作詞し、千葉大学教授(当時)山本金雄氏が作曲されて四十八年三月二十三日発表会が開かれ披露された。澤田氏はご多用中のさ中、来校され、工事中で雑然とした校内を幾度も巡られ想いを練られた。自然景観上目につく物もこれといって特になく苦労されたそうであるが、さすがこれまでの県内外の多くの学校の校歌を作られたその腕で、新しい学校の息吹、未来に向かって躍動する力強さ等を巧みに盛り込んだ見事な歌詞を書きあげられた。その詩に、息の合った山本氏が流麗且つ重厚な曲をつけられ、数多の中でも誇りうる校歌ができあがった。発表会では作曲者自らピアノを弾き生徒の歌唱指導に当たられた。
出典:創立十周年記念誌
出典:創立十周年記念誌
1973(S48)年4月7日:入学式(第2期生)
☆新入生277名
~エピソード0(同窓会設立前)~
【プレハブ校舎~新校舎編】
2期生の私たちが入学した時、学校とは思えない建物で養鶏場なんて言われていました。ほとんどが平屋のプレハブだったのですが、私達は工事現場によくある青い2階建ての飯場と言われるような建物に教室がありました。
冬は隙間風でとても寒く、夏は本当に暑かったのを覚えています。窓枠ごと外して授業を受けていました。一年中砂ぼこりが酷く、教室の隅には砂が溜まっているという状況でした。でも、そんな環境でも楽しい学校生活を過ごしていました。
2年生になり校舎が完成しましたが、まわりの団地の完成の遅れでトイレが使えずに休み時間に一階の別に作られたトイレ迄行かなくてはいけなかったのも今では良い思い出です。
そして何より印象に残っているのは部活が終わってみんなで帰る時に見た夕陽の美しさです。
私にとって本当に思い出深い3年間の東高生活でした。
寄稿:anne(2期)
暑さのため窓を外して授業(出典:創立十周年記念誌)
新校舎への引越し(S49)(出典:創立十周年記念誌)
1974(S49)年4月8日:入学式(第3期生)
☆新入生360名を迎え、全学年が揃う
~エピソード0(同窓会設立前)~
【便所ハウス編】
開校当初は校舎がなくてプレハブの仮校舎だった、という話はよく聞かされていると思います。あの頃は「オイルショック」というのがあって、建築資材は高騰するわ品薄になるわで校舎の建築は遅れに遅れたのです。それでも第三期生が卒業するころにはほぼ現在のような形で校舎・体育館の完成をみたのですが、トイレは使えませんでした。なぜなら水洗トイレの先をつなぐ下水道がまるで敷設されてなかったからです。
なぜ下水道が敷設されてなかったのかといえば、学校が「公団芝山団地と一体となって設置」されたものだったからです。オイルショックによって芝山団地の完成は学校よりもさらに遅れたのです。
校舎内のトイレが使えないとなったので、仕方なく木造のいわゆる「ぼっとん便所」が作られました。生徒教職員合わせ1000人以上いる施設の唯一の便所ですからそれはそれは立派な大きさのものでしたよ。誰が言うともなくその巨大ぼっとん便所は「便所ハウス」と呼ばれるようになりました。
で、それがどこにあったかと言えば教室棟と管理棟を結ぶ渡り廊下の前です。そう、当時は校門から入ると真正面に木造の威容を誇る建物「便所ハウス」が見えたわけです。現在その場所は大きな木が植わっていますが、初期の卒業生は全員「さすが便所ハウスの跡地はよく肥料が効いてるわい(≧∇≦)」と思っています。
出典:Facebook「オッサンの昔語り」
1974(S49)年11月9~10日:千葉県立船橋東高等学校 第1回学校祭
~エピソード0(同窓会設立前)~
【第一回学校祭】
第一回学校祭が開かれたのは、建築の遅れていた校舎が完成した年(開校三年目)の十一月であった。第一期生はすでに三年生になっており受験戦線のさ中にいた。
校舎が完成したといっても現在の管理棟と書道教室の部屋はまだ建築中で、現在の正門あたりには工事用の小屋があって回りには資材が山積みされていた。暗幕、スリッパ、掲示用ベニヤ板、等々他校から借用するという惨めな状況であったが、待望久しい催しで生徒は全員一生懸命にとりくみ、準備のため泊まり込むものさえあった。文化的な発表会というよりは新設当初の苦労や憂さを吹っ飛ばそうとするお祭り気分が濃く、協議の末、文化祭とは呼ばずに学校祭とすることになった。強制はしなかったが、ほとんどの文化部、クラスが参加し、喫茶、縁日、バザー、お化け屋敷等が幾つも競い合った。予算は一件だいたい五〇〇〇円くらいで総額一〇万円ばかりであった。足りないところを校舎工事用資材を借用したり、近くの藪から青竹を切ってきて補うグループもあった。真新しい校舎を傷つけないというのが至上命令で、ガラス面以外の壁面への掲示物を取り除いたり、会場にダンボールを敷きつめるなどという余分な作業が課せられた。晴天に恵まれ予想を大幅に超す来校者があって、生徒たちは大きな自信を得た。
出典:創立十周年記念誌
1975(S50)年3月9日:千葉県立船橋東高等学校 同窓会 設立総会
~エピソード0.5~
【同窓会の設立と歩み】
1. 設立準備委員会の発足
<略>
2. 会則の審議
<略>
千葉県立船橋東高等学校 同窓会 会則(初期)(昭和50年4月1日施行)
3. 役員の選出
<略>
4. 設立総会
昭和五十年三月九日、卒業式の前日、同窓会設立総会を開催し、会則と役員の承認を議決した。顧問は、前後の経過と第一回卒業学年の主任ということで私がなって、現在に及んでいる。
5. その後の歩み
<略>
6. これからの課題
<略>
出典:創立五周年 記念誌
1975(S50)年3月10日:千葉県立船橋東高等学校 第1回卒業式
★卒業生:269名
記念すべき同窓生の誕生である。
1975(S50)年9月27~28日:千葉県立船橋東高等学校 第2回学校祭(飛翔祭)
【飛翔祭編】
いまや「飛翔」と言えば東高・東高と言えば「飛翔」でありますが、文化祭に「飛翔祭」の名前が付いたのは第三期生が入学して全学年が揃った年からです。それまでももちろん文化祭はありましたが特に名前はありませんでした。
帰宅部だった一年坊主のわたしは文化祭実行委員の役を押し付けられイヤイヤ実行委員会に出席してたのですが、そのとき「今年から文化祭に名前が付く。それは「飛翔祭」になる」という話が出ました。
どんな名前にするかの討議をした記憶はないのですが、ああそうかい飛翔祭かいと黙々粛々と準備を進めてました。
しかしある日突然「『飛翔祭』じゃなくて別の名前にしなくちゃならない。準備に差し障るから今日中に決める」という話が持ち上がりました。理由は市内某中学の文化祭と名前がかぶるから、というものでした。それから延々別の名前を付けるべく討議は続いたのですがいい案など出るはずもなく時間だけが過ぎました。
遠距離通学でその日の夕方に見たいTVがあった(当時はDVDどころかビデオもないので録画という選択肢はない)わたしは早く帰りてえとついブチ切れ「もう飛翔祭でいいじゃねえか」と提案。
その理由として 1.どのみち学校の名前が入るのだからそこで区別できる事 2.いままで飛翔祭として準備したことが無駄になる事 3.とりあえず今年はこれでやらせてもらってまた来年名前考えたらいいじゃねえか を挙げました。実は3番はわたしの誤解があって、文化祭の名前は毎年変わるんだと思ってたんです。ところがそうじゃなかったんですね。
結果、「飛翔祭」の名前はそのまま採用。
まさかそれがそのまま40年続くとは思いませんでした。
「生徒の意思だから」と、その「飛翔祭」の名前を尊重して関係各方面と調整をしていただいた当時の浅野初代校長先生と八田初代PTA会長はじめ諸先生方には改めて深く感謝いたします。ありがとうございました。
出典:Facebook「オッサンの昔語り」
1975(S50)年10月5日:同窓会 第1回総会の開催
出席者53名 於:船橋東 視聴覚室
初代会長:山本 英樹(第1期)
1975(S50)年10月15日:千葉県立船橋東高等学校 同窓会報 第1号の発刊
記念すべき同窓会会報 第1号が発刊された。
1976(S51)年10月3日:同窓会 第2回総会の開催
出席者37名 於:船橋東 視聴覚室
1977(S52)年10月2日:同窓会 第3回総会の開催
出席者29名 於:船橋東 視聴覚室
1978(S53)年4月:千葉県立船橋東高等学校同窓会会則 施行
1978(S53)年7月15日:学校主催「卒業生と語る会」実施
1979(S54)年7月14日:同上実施
1978(S53)年9月23日:同窓会 第4回総会の開催
1979(S54)年9月23日:同窓会 第5回総会の開催
出席者:92名 於:船橋東 会議室
二代目会長:染谷 和彦(第1期)(敬称略)
1980(S60)年1月1日:船橋東高等学校同窓会報 第6号の発刊
同窓会報がワープロ化された。
1985(S60)年9月22日:同窓会 第11回総会の開催
三代目会長:日暮 勉(第1期)(敬称略)
1988(S63)年9月:同窓会 第13回総会の開催
四代目会長:染谷 和彦(第1期)(敬称略)
1993(H05)年3月9日:「育む」石像除幕式及び「タイムカプセル」(第一次)の収納
第19期、第20期、第21期の卒業生により、「タイムカプセル」(初)が設置された。
二十周年記念「タイムカプセル」の設置
-- 二十周年実行委員会、生徒会
<目的>
タイムカプセルに託す意思を「自分探しの旅」の新たな出発点と考え。二十年後の一つの帰着点としてタイムカプセルを埋めることになりました。自分の「希望」「夢」をそこに描き、また学校に於いて二十年の一つの節目として、「今」を凝縮したその断片としてこの行事を行うことになりました。
<収納品について>
寄せ書きークラスで一枚
「二十年後(2012年)の私へのメッセージ」と題して二十年後の自分への手紙
クラスごとに今の時代や、学校などを表現できる物
出典:創立二十周年1992年度 「校誌」
1995(H07)年2月15日:同窓会報を「東風」へ名称変更
同窓会会報名を第17号(平成7年発行)より「東風」(こち)と名称変更された。
☆東風(こち):〘名〙 東の方から吹いて来る風。特に、春に吹く東の風をいう。ひがしかぜ。こちかぜ。《季・春》
他の読み:とう‐ふう、あゆ、ひがし‐ふう、こち‐かぜ、ひがし‐かぜ
出典:精選版 日本国語大辞典
2005(H17)年2月15日:平成17年度 同窓会総会の開催
五代目会長:長谷川 雄祐(第17期)(敬称略)
2010(H22)年11月27日:船橋東高校同窓会 35周年記念パーティの開催
2012(H24)年9月9日:平成23年度 同窓会総会の開催
六代目会長:冨澤 博一(第4期)(敬称略)
2013(H25)年3月22日:「タイムカプセル」(第二次)の収納
第39期、第40期、第41期の卒業生により、「タイムカプセル」(第二次)が設置された。
40周年記念事業 タイムカプセル 「Hello! 10年後の私たち」
平成24年度生徒会本部
~歩み~
2012.7 生徒会によるタイムカプセル事業提案
2012.11 全クラスR長会議にて事業案可決
2012 同好会による賛成とご協力を頂く
2012 冬休みに各自の手紙下書き用紙を配布
2013.2 評議会にて、設置イベントの詳細決定
2013.2 タイムカプセル用クラス写真撮影
2013.3 10年後の自分への手紙清書
2013.3.22 タイムカプセル設置
2015(H27)年11月7日:船橋東高校同窓会 40周年記念パーティの開催
場所:アパホテル&リゾート東京ベイ幕張
同窓会創立40周年記念パーティ報告会報(同窓会報33号(平成28年発行))
2015年11月7日に、アパホテル&リゾート東京ベイ幕張にて 行われ、三百有余名の参加をいただきました。
2016(H28)年11月5日:船橋東高校第一期生 還暦同窓会 開催
2017(H29)年9月10日:平成29年度 同窓会総会の開催
2021(R03)年10月30日:令和3年度 同窓会総会の開催
2022(R04)年9月24日:令和4年度 同窓会総会の開催
2022(R04)年12月18日:「タイムカプセル」開封
千葉県立船橋東高等学校 創立50周年記念事業の一環として
創立40周年記念事業 「Hello!10年後の私たち!」
~タイムカプセル開封式~ が実施された
タイムカプセル開封式報告会報(同窓会報40号(令和05年発行))
Hello! 10年後の私たち!(船橋東高等学校祝50周年)タイムカプセル開封式
2023(R05)年9月10日:令和5年度 同窓会総会の開催
2024(R06)年2月10日:同窓会創立50周年実行委員会の開催
実行委員長:太田 純一(3期)
副委員長:山田 信雄(5期)(敬称略)
場所:船橋市中央公民館
2024(R06)年9月7日:令和6年度 同窓会総会の開催
場所:船橋東高等学校 応接室
令和6年度同窓会総会議事録
イベント及びエピソード募集中
貴方が知っている「沿革」掲載用のイベントやエピソード、ウラ話があったら教えてください。
・同窓会設立初期のころのエピソード
・第一次タイムカプセル開封イベントの様子
・35周年記念パーティ...etc